
今まで
普通に走っていてくれて
ありがとう
間引きとか
繰上げとか
言われていたけれど
いつも通り
普通に走ってくれることが
どれだけ頼もしかったことか

a scene of ordinary daily life

父親が他界しました
亡くなる数日前
急に体に力が入らなくなったと言って
かかりつけの病院へ
MRI検査をするも脳には異常がなく
とりあえずは経過を見ましょうということで
入院となりました
その週末に
カミさんと一緒に
バレンタインのチョコレートを持って
見舞いに行きました
いつもの通り顔色は良くて
それでも確かに力は入らないようで
声がかなり聴きとりにくくなっていました
「ここは空気が薄いな・・・でも
もしこれがお迎えだったとしても
悔いはないよ」
弱気の虫が出てるなと思いながら
「また来るよ」
と言って病室を出ました
帰宅後
そろそろ寝ようかと思っていたところ
母からの電話が鳴り
病院から呼び出しがあったとのこと
終電に近い東海道線に乗って
もう一度病院へ向かいました
蘇生を受けたようで
酸素マスクに繋がれていて
その後は言葉を交わすことは
叶いませんでした
ーーーーーーーーーー
紳士服の仕立職人として
頑固でへそ曲がりで
めんどくさい親父でしたが
最期だけは
人様にさほど迷惑を掛けることなく
息を引き取りました
あまり昔語りをしないので
よくわからないところもあるのですが
時代の綾で
国民学校を出てすぐに親弟妹を背負わざるを得ず
常に自分を犠牲にして生きてきたようです
子供の頃からよく
「おいタカシ、これちょっと読んでくれ」とか
「おいタカシ、これちょっと書いてくれ」とか
言われていたので
読み書きはあまり得意ではないと思っていました
ところが
葬儀屋さんから
「一緒に棺に納めるものがあれば
準備しておいてください」
と言われて
親父が戸棚の奥に仕舞っていた
ダンボール箱を開けたところ
中から一冊の古いノートが出てきて
びっくり
背広を仕立てるために
几帳面に描かれたいくつもの裁断図と採寸記録
そしてそれらは
英語で記されていたのです
専門用語だけなので
単語の種類も限られているのですが
薄い鉛筆を使って
丁寧な筆記体で書かれていました
ーーーーーーーーーー
葬儀は
田端から程近い
お寺さんの式場を借りて執り行いました
近しい方々に集まっていただいて
こじんまりとしたなかなかよい式になりました
会葬いただいた親戚の方が
「このコートね
父から譲ってもらったんだけど
おじさんに仕立ててもらったんだよ
今でもすごくしっかりしてて
流石だよね」
ってわざわざ着て来てくださって
もう四、五十年以上も前に
仕立てたコートなのに
本当にしっかりしていて
またびっくり
どうも
仕立職人としての腕は
確かであったようです
合掌

最近では
音楽はもっぱら
スマホでSpotify(無料版)から
イヤホンやBluetoothスピーカーに繋いで
聴いています
先日久しぶりに
自分の部屋のステレオから
インターネットラジオを聴こうと思って
ある異変に気がつきました
ネットワークプレーヤーは
インターネットラジオのディレクトリサービス
即ち初期のyahoo!みたいな分類サイトに接続して
聴きたい音楽のジャンルやエリアを選択していく
仕組みになっています
えーと
とりあえずズージャ系でダラダラいこうかなと
いつも通りディレクトリを
Genre>Jazz
と辿ろうとしてもなぜかうまく進まなくて
その代わりに$3とかdonationとか
今まであまり見たことのないワードが
出てきます
これってさぁ
もしかして
「お金を払ってね」
ということ?
まあ
金額的には
受ける恩恵と比べれば
全然安いんだけど
今まで言われたことないのに
いきなり寄付しろとか
決済情報を入力しろって言われるのには
ちょっと抵抗があるなぁと
そこで
我が家のネットワークプレーヤーは
当面ただのCDプレーヤーとして
使うことになりました
メーカーのサイトには
「対象モデルをご利用のお客様におかれましては、インターネットラジオ局データベースサービスの将来にわたる継続提供を弊社では保証できかねること、何卒ご理解を賜りたくお願い申し上げます。」
と後付けで書かれていて
事情の変更によるリスクは
ユーザー側に振るようです
メーカーにとっても
寝耳に水の出来事だったのかもしれず
やむを得ない感もあるけれど
ネットに組み込まれた利権が絡む仕事
所謂プラットフォーマーとのビジネスには
いつこのような事件が起きるかわからないことを
知っておかないといけませんね



中古レコードを買った
40年前
ジャマイカのモンテゴベイの
ビーチで録った
波の音
ただ
波の音だけが
収められている
制作は
写真家:浅井慎平
ライナーノーツによれば
ロンドンのショップで
偶々出会ったレコードの
ジャケット写真に触発されて
彼の地へ向かったとの由
当時のジャマイカは
政情が不安定で治安も悪く
リゾート気分で行くことなど
許されなかった
それでも
日本からはるか遠く
カリブ海に浮かぶ島々への
憧憬は
一人の写真家を
突き動かすのに
十分なエネルギーを
持っていたのだと思う
その後
彼は日本に
レゲエを持ち込む
二拍子の
乾いたリズムから
政治色の強いメッセージを
繰り出すレゲエは
四畳半フォークの湿気に
辟易していた日本人にとって
衝撃的であったはず
おそらく
異文化の受容とは
こうして生まれるのだ