サクラが
いい感じに咲いてます
駅前の教会のサクラが
ワタクシの標本木となっております

a scene of ordinary daily life




今月
少し長めの夏休みをいただいています
勤続25年で連続休暇をいただけるのですが
繁忙や災害対応で先延ばしにしているうちに
とうとう33年も働いてしまいました
連続休暇は
慰労のためだけではなく
リタイアメント後の「サンデー毎日」の練習とか
いろいろ言われています
私も急に毎日の通勤から解放されたら
ちょっとおかしくなっちゃうんじゃないかと
心配してみたりもしたのですが
どうも杞憂だったようです
こないだの
サブスクの整理をはじめ
普段時間が取れなくてできないことを片っ端から手掛けていて
やりたいことは当面尽きそうにありません
YouTubeの存在もまた大きいようで
繁忙に永らく封印されていた好奇心を大いに奮わせてくれる
とても刺激的なメディアになっています
好奇心赴くままの情動に疲れたら
チャリで海へ出かけて行って
お昼寝です
今年
海岸には
海の家が建たなくて
静かです
こんな
夏の海も
いいもんすね

父親が他界しました
亡くなる数日前
急に体に力が入らなくなったと言って
かかりつけの病院へ
MRI検査をするも脳には異常がなく
とりあえずは経過を見ましょうということで
入院となりました
その週末に
カミさんと一緒に
バレンタインのチョコレートを持って
見舞いに行きました
いつもの通り顔色は良くて
それでも確かに力は入らないようで
声がかなり聴きとりにくくなっていました
「ここは空気が薄いな・・・でも
もしこれがお迎えだったとしても
悔いはないよ」
弱気の虫が出てるなと思いながら
「また来るよ」
と言って病室を出ました
帰宅後
そろそろ寝ようかと思っていたところ
母からの電話が鳴り
病院から呼び出しがあったとのこと
終電に近い東海道線に乗って
もう一度病院へ向かいました
蘇生を受けたようで
酸素マスクに繋がれていて
その後は言葉を交わすことは
叶いませんでした
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紳士服の仕立職人として
頑固でへそ曲がりで
めんどくさい親父でしたが
最期だけは
人様にさほど迷惑を掛けることなく
息を引き取りました
あまり昔語りをしないので
よくわからないところもあるのですが
時代の綾で
国民学校を出てすぐに親弟妹を背負わざるを得ず
常に自分を犠牲にして生きてきたようです
子供の頃からよく
「おいタカシ、これちょっと読んでくれ」とか
「おいタカシ、これちょっと書いてくれ」とか
言われていたので
読み書きはあまり得意ではないと思っていました
ところが
葬儀屋さんから
「一緒に棺に納めるものがあれば
準備しておいてください」
と言われて
親父が戸棚の奥に仕舞っていた
ダンボール箱を開けたところ
中から一冊の古いノートが出てきて
びっくり
背広を仕立てるために
几帳面に描かれたいくつもの裁断図と採寸記録
そしてそれらは
英語で記されていたのです
専門用語だけなので
単語の種類も限られているのですが
薄い鉛筆を使って
丁寧な筆記体で書かれていました
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葬儀は
田端から程近い
お寺さんの式場を借りて執り行いました
近しい方々に集まっていただいて
こじんまりとしたなかなかよい式になりました
会葬いただいた親戚の方が
「このコートね
父から譲ってもらったんだけど
おじさんに仕立ててもらったんだよ
今でもすごくしっかりしてて
流石だよね」
ってわざわざ着て来てくださって
もう四、五十年以上も前に
仕立てたコートなのに
本当にしっかりしていて
またびっくり
どうも
仕立職人としての腕は
確かであったようです
合掌